『堕落論』坂口安吾

 ブルーノ・タウトは桂離宮をして日本美の〈発見〉というが、「日本人は日本を発見する必要などない」「もっとも発見しなくてはならないのは自分自身の美、自分自身の発見だ」と安吾は断言する。
 有名な批評「日本文化私観」ではタウトのそれと全く同じタイトルをつけるという筋金入りの無頼っぷりだ。これは「堕落論」に先んじて太平洋戦争下で発表されている。自身の実感に支えられて、そこには本質をつかんでいる者の痛烈なメッセージがあって、「堕落論」の萌芽はここにある。
 他にも、日本の歴史から、家制度、天皇制、文化、文学まで、あらゆる視点がいまも新しい。読み返すたび新鮮だ。
 例えば「戦争論」ではこんなふうに家制度を疑う。「自分の子どものためには犠牲になるが、他人の子どものためには犠牲にならない。それを人情と称している。かかる人情が、果たして真実のものであろうか」
「堕落論」というタイトルに偏見を持っている方もいると思うが、そんなことは気にせず読んでもらえればわかります。75年以上がたってもなお、僕たちの目の前に広がっているウソにまみれた風景をばっさりと引き剥がしてくれるから。(2018.8.15)

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